< First pregnancy 1 >
「35歳までに1人だけ子供を産めたらいい。」
それが私の口癖だった。
旦那さんも、まだ子供はいい、と言っていた。
30歳の誕生日を過ぎ、それでもまだ余裕を感じるほどだが、結婚してなかなか妊娠しない私に職場の人たちは不妊を疑っていたようだ。
そんな人にも、子作りをしていない、35歳までに1人だけ子どもを産めたらそれでいい、そう言い返す。
「保険に1人産んどけばいいのに。ほしいときに限ってできないもんだよ。」
そういう人もいた。
正直、子供を望んだときにできない可能性もないことはないだろうな、とは思っていた、。
でも、まだ自分が妊娠して妊婦姿で・・・想像もできないでいた。
そんなある日、救急車を呼ぶか?ってほどの、腹痛。
生理だったのだが、尋常じゃない。
生理痛は昔よりひどくなった気はしていた。
血液の固まりもでる。
でも、職場で何年前にか子宮のエコーをしてもらっても筋腫などは見つからなかった。
子宮内膜症・・・ちょと気になってはいた。
次の日、思い切って産婦人科へ。
それまで、旅行のために生理を遅らせる薬はもらいに行ったことがあったが、
受診するのは初めてで緊張した。
案の定、子宮内膜症の診断。
治療方法が説明された。
飲み薬または、つきに1度の注射で、生理をとめる。
期間は副作用が強いので、通常大きな病院で使用する量の半量を倍の期間かける。
1クール6ヶ月。その後、検査によって駄目な場合は3ヶ月づつ期間が延びる。
悲しくなった。
6ヶ月・・・9ヶ月・・・1年・・・
そんな長い期間を要することを改めて知らされて、不安になった。
子供・・・作っておけばよかったんじゃないか・・・
ふと職場の人に言われた言葉が蘇る。
「ほしいと思ったときにできないこともある・・・」
加えて「子宮内膜症の人は妊娠しにくい」と言う話がよぎる。
「不妊の人の何十%かは、子宮内膜症の症状を抱えている・・・」
とりとめのない不安が襲う。
旦那さんに話してその不安も吐き出した。
「とりあえず、今はお前の体がよくならないと。その先はまた一緒に考えよう。」
そうだ。とりあえず内膜症を治すしかない。今できることはそれに専念すること。
子供を作るために、長い長い治療を開始するしかない・・・
月に1度の注射を選択し、毎月痛い注射を我慢した。
生理がない楽さとともに、後どれくらい生理をとめるのか・・・
先の見えない治療にいつも不安だった。
いろんな副作用が言われている中で、私はどんどん太っていった。
5kgは余裕で増えた。
でも、いろんなHPを見ると20kg太ったと言う人もいて、私はまだ序の口だと思うようになった。
ただでさえ標準体重は超えていてぽっちゃりしている私がさらに5kg・・・
治療が終わったら痩せるだろう・・・ダイエットすればいい・・・
その程度にしか考えてなかった。
結局、6ヶ月では治療は終わらず、9ヶ月で終えた。
治療が終わる前にDr.に「子供要らないわけじゃないんだったら、内膜症の治療が終わったら子供ができるように検査やできやすいような処置をしていく?」と聞かれた。
迷わずお願いした。
どんなことをするのかも分からなかったが、とにかく約1年をロスしたような気分でいた。
何故か妊娠を焦っていた。
妊娠したくてたまらなくなっていた。
「止めていた生理が来たら・・・次の生理が来たら・・・」
生理がなかなか来ない・・・
その治療も始められない。
また焦りを感じた。
内膜症の治療を終え、その処置を始めたらすぐ妊娠するくらいに思っていた。
もどかしい日々が長く続いた。
生理がくるようにホルモン剤を注射された。
その量はどんどん増えていった。
また太りだした。
ストレスのせいもあったのかもしれない。
やっと生理がきて、すぐ妊娠・・・
とはいかなかった。
卵管造影をした。
「右の卵管がつまり気味です。左は通ってますから妊娠できないことはないが、確率は低くなりますね。」
また悲しくなった。
何もかも、うまくいかない。
何もかもに障害があり、すんなり妊娠までは行かない。
「卵管通水、卵管通気法などをして狭くなった卵管を広げる処置をしながら、子供を作ることも考えましょう。」
そういわれ、生理が終わると卵管通気、クロミッドを飲んで排卵に備えることになった。
卵管通気は私にとってかなり過酷な処置だった。
卵管を通って卵巣からでたガスは内蔵の脇を通って横隔膜へ。
そこからあばらを通って肩の関節のあたりに抜ける。
それを知ったのは激痛と戦った後、ふらふらになってインターネットで調べたときのことだった。
病院で痛みのことなど知らされておらず、どうかなってしまったのではないかと気が狂いそうだった。
後日そのことをDr.に伝えると、「そういう人もいる」と言う返事だった。
そんなに痛いなら痛み止めを使おう・・・そういうことじゃない。
説明があれば不安にならずに済んだ。
少しだけその病院に不信感を抱いた。
何度もその処置をした。
もう嫌だった。
処置後は1日痛みがあり、動けなかった。
旦那さんに当たった。
「もうこんな処置を続けるのは嫌だ。妊娠しないから・・・妊娠するまでこんのことするのは耐えられない。痛いのは私だけ。どうせあんたには分からない!」
義父が生きるか死ぬかの事故をして、旦那さんは長男なのでちょくちょく九州の実家に様子を見に帰っていた。
排卵日に九州の実家に帰らないといけないときなどは発狂した。
精神的にも安定しない日々を送った。